電子の猫の通信

空城が空にぽっかり浮かんでて猫と一緒に住む人在るか

話題の人

現在、大阪府選出の国会議員である丸山穂高氏のことが話題になっています。私も同じ大阪に住んでいるというのもあり興味を持ったので手元のiPhoneで調べてみました。細かい話をすると私が住んでいるのは大阪の北摂なので丸山氏の選挙区とは違い『大阪といっても広いねん』なのですが。                                                        


そうしてみると色々なことが分かってきました。まず丸山氏が政治に関心を持つきっかけなのですが阪神大震災の時に体験したボランティアなんだそうです。


この情報を目にした時にまず考えたのは「お酒……戦争……何かイメージと違う」でした。


そうやって調べていった結果、私の中で二つの政治家像ができあがりました。


①お酒を飲んで戦争発言をして、かつては共謀罪(この法律の是非については今回は割愛させてください)の成立にも一役買ったタカ派の若手議員


阪神大震災をきっかけに政治に関心を持ち努力して東大→経産省の経歴を持ち地元のために頑張っているタカ派(?)の若手議員


全く違っていてどちらが本物なのでしょうか。あるいはどちらも本物なのかもしれません。


ですが現在の私たちの国のメディアにおいては①だけが強調され過ぎてはいないでしょうか。

遠くに在って

私の感覚ですが現在の世界は動乱期に入っていると思います。その動乱は世界中全ての人間を巻き込んでいて、私たちの国にとってもひょっとしたらそれは幕末以上のものかもしれません。私たちの国は戦後続けてきたリベラルをさらに発展させて平和を守り、そして私たちは生活をしていく必要があると考えます。


私たちの国は明治になって近代国家として出発することを余儀無くされました。資本主義国にならなければ、幕末に諸列強国と結ばされた不平等条約を撤廃することができなかったからです。      


そのために今まで存在しなかった概念を導入していきました。その一つに《国籍》があります。


国籍とは広辞苑によると【一定の国家の所属員たる資格】とあります。昨今話題になったプロテニス選手の『彼女は日本とアメリカのどちらに所属するのだろうか』問題も国籍という概念から生じるものです。


さて私たちの国の法律では、自分自身の意思で外国の国籍を取得したら自身の所属国(日本)の国籍は手放さないといけないのだそうです。


でもそれって何か私の中で腑に落ちない感じがします。


何故かと言えば自身の所属する国(日本)を憂う心配する想いって所属する国(日本)に住んでいる時はあまり気にしていないと思うんです。


でもそういう想いって一度外に出て国内では触れられない様々な情報を見聞きする。そこから感じたこの国の持つ現状の良い点悪い点について考える。そしてその内容を自分自身の言葉で伝えることができる。そうした時に初めてリアルに感じてくるものだと思うからです。


今回は私たちの国が、外国で生活して日本を心配する/しない人に多重国籍を認めていない現状について書かせて頂きました。

絶景かも

ある日、私は道を歩いていました。すると公園の桜の花びらがちらちらと落ちているのが見えたのです。      


「これって絶景かも……」


一瞬、そのあまりの美しさに息がハッと止まったのが分かりました。


〜〜〜〜〜


私は大阪で生まれ育ち、現在も住み続けています。大阪という所は梅田とかナニワを中心に発展した都会とその周辺に位置するベッドタウン(bedroom town)なのでそのオリジナルな雰囲気とか落ち着くのはあるんですけど、そのためか例えば富士山とか例えば那智の滝とか圧倒的な自然美というものにあまり縁がない生活を送ってきたような気がします。その私が今回の通信のテーマを《絶景》にしようと思い立ちいろいろ考えあぐねてみての結論とは。


それは私にとっての絶景とは身近な風景の中に存在するもの。人間の努力によって作られて守られてきた身近な場所とその風景。その共有財産を私は絶景と思うのです。


何故、今回のテーマを絶景にしたのかというと、その土地の持つ固有の風景ってその地域に存在する各々の《守るべきもの》つまり表現文化(culture)について思考する際にきわめて重要な要素になってくると思うからです。


この前(2019,4/7)の大阪府知事大阪市長選挙で維新の会が大勝しました。つまりこれからの大阪の舵取りは彼らに託されたわけです。彼らは言います。「大阪の成長を止めるな」と。でもそこではたと考えるのです。大阪の成長って何?と。それは水道を民営化したり、大学の数を減らしたりすることではないと思うんです。


大阪の役に立ちたいと考える人材が一人でも多く世の中に出てくること。それこそがこれから大阪が盛り上がっていく条件ではないでしょうか。



トラウマ!

夜、布団に潜り込んで少し経った時に、ふと昔のトラウマ(心の傷)を思い出してしまい眠れなくなった……なんてことはありませんか?私にはあります。


「どうしてあの時私はあの人にあんなつらいことをされた/言われたんだろう」(被害)もしくは「どうしてあの時私はあの人にあんなつらいことをして/言ってしまったんだろう」(加害)。つらいです。何故ならどんなに悔やんでも自身の過去というものは変えられないからだと思います。


そしてトラウマの恐ろしいところはそれがその人の現在もしくは未来にまで悪い意味での影響を及ぼしてしまうことではないでしょうか。「あの時があーだったんだから、今(これから)の自分が幸福になれるわけがない」と思いこんで暴飲暴食をしてしまったり貯めていたおカネを無駄に散財してしまったり。いわゆる自暴自棄というもので私にも覚えがあります。



どうすればいいんでしょうね



それに対する明確な対処法は私にもわかりません。ですが私たちには一つだけしなければならないことがあると思います。


それは自分が被害/加害してしまったトラウマを次の世代には持ってほしくないという意志を持つことではないでしょうか。


例えば戦争でものすごい貧困と飢えを体験した人が自分の子供たちの世代にはこんな思いをしてほしくないと平和な国を作ることを誓うようにです。


その意志を持つことによってその人の生活および未来が少しでも良くなっていけばと願い今回の通信を終えることにします。

はじまりの詩(序)

初めまして。〈電子の猫の通信〉という名前のブログを始めたkokoと申す者です。よろしくお願いいたします。


私はあと2年で40歳になります。1980年に生まれました。15歳の時に阪神大震災を体験して、その直後に起きた地下鉄サリン事件に始まるこの国の狂騒をテレビに噛り付いて見ていました。


その頃の私はといえば目指すべき目的地(将来の夢というやつです)も見つからず、自身が何処を歩いているかを教えてくれる地図とコンパスも持っておらず、人生と呼ばれる『何か』に怯えながらただただ毎日を過ごしていたように思います。


そんな当時の私の心が渇望していたものは言葉でした。それも地下の鉱脈を流れている水のような言葉。つまり表現(culture)の言葉によって私は支えられていたのです。


私の書く言葉が読んでくれた方の心を少しでも(当時の私が触れていたものの0.1%でも)元気にする力になれたらと思います。


と……ここまで意気込みを書いてきたのですが、あんまり気負ってもしんどくなったら続けられないと思うので、日々の感じたことをそれこそ楽しんで描く落書きのようなつもりで書いていくことにします。


よろしくお願いいたします